「合わない」と「会えない」 様々な人間ドラマから本居宣長を紹介
三重県松阪市の本居宣長記念館では、江戸時代の国学者、本居宣長を知ってもらおうと、宣長と意見が「合わない」、そして、会いたいのに「会えない」、2つの切り口から宣長を知ることが出来る企画展が行われています。
江戸時代を生きた松阪市出身の国学者本居宣長。会場には、宣長と意見が合わず議論を交わした手紙や、宣長に思いを馳せた和歌など、国の重要文化財を含む89点が展示されています。
中には、宣長が紀州藩の経済をいかに立て直すか解決策を論じた「玉くしげ」に対し、尾張藩の役人が写本に書き入れを行ったものが展示され、当時の役人が宣長の政治論を警戒をしていたことがわかります。
一方で「会えなかった」人については、宣長の墓がある山室山のお寺に置かれた、参拝者の芳名録が展示されています。
宣長の没後60年に訪れた福井の歌人橘曙覧が宣長を偲ぶ和歌で「私は生まれてくるのが遅すぎた。同じ時代に生まれたら先生の弟子になれたのに」と、一緒の時代を生きられなかったことを悔やんでいることがわかります。
関係者は「学問を通した人間ドラマというところにも、エピソード的なところを多めに取り上げていますので、そういうところを感じてもらいたい」と話しています。
企画展「宣長とあわなかった人々」は、3月2日まで、本居宣長記念館で開かれていて、今月18日と2月15日には、学芸員による展示説明会も行われます。